読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

snac's memo

Hello! snacのブログです。

夜道の猫

3月の雨の夜、母親から電話があった。
「最悪や。」
数ヶ月前から調子の悪かった親父の病名は、癌だった。
よく耳にするその病気が、まさか身内に降りかかるとは思いもよらなかった。
電話を切ったオフィスビルの入り口で、しばらく呆然としていた。
iPhoneの熱が、耳に残っている。
強く地面に打ちつける雨音が、遠くに聞こえていた。
 
〜〜〜〜
 
「どうかオレが治る事を、祈ってほしい。」
病床に伏せる父は、息子にそう懇願した。
祈るなら日課にしてしまおう。
日課にするなら、なるべく神さまに近い場所でやる方がいいだろう。
その日から、妻と一緒に神社にいくことが日課となった。
 
無宗教だった自分が、急に信心深くなってから数日経ったある日のことだった。
夜のお祈りを終えて帰ろうとした道すがら、どこからか猫の声が聞こえた。
音のする方に近寄ると、白と黒の模様の猫がそこにいた。
 
ニャア ニャア
 
あたかもこちらに呼びかけているように鳴く猫は、手を伸ばすとさっと逃げてしまう。
猫は先回りをすると、しばらく行ったところで立ち止まり、こちらが追いつくのを待っていた。
そして何かを伝えそうにまた鳴き始めるのだった。
 
ニャア ニャア
 
人語めいているのだが、当然意味は分からない。
何度か触れようと試みるものの、あと一歩というところで跳び退いてしまう。
しかし、我々から逃げる様子もなかった。
 
つかず離れずのまま、とうとうその猫はうちの側まで来てしまった。
その頃には、僅かながら身体に触れることを許してもらっていたので、
一緒にいた妻に相手をさせて自分は缶詰を取りに帰った。
 
すぐに戻り、ツナ缶を開けて地面に置いた。
猫はこちらが見ていると食事をしない、と聞いた事があるのでそっぽを向いていた。
視線の端で警戒している猫が見えたが、すぐに缶詰にありついてくれた。
夢中になって食べている猫に、思わず話しかけている自分がいた。
 
「もし君が神様の使いなら、父の命を救ってくださいと伝えてくれませんか?」
 
馬鹿げた行為だった。
いい歳した男が、道端で猫に話しかけているなんて相当馬鹿げている。
それでも、その妙に警戒しながらも人懐っこいその猫に、
どうしても奇跡を見出したくて、無理を承知で、
話しかけてしまった。
猫は返事をする訳でもなく食事を続けていた。
その場を去ることにした。
 
部屋のベランダから見て斜め下ぐらいに位置するその場所を、
今一度見ておこうと窓を開けて、覗いてみた。
 
猫は、こちらを見ていた。
 
思わず息を呑んでしまった。
猫はくるりと踵を返して、足早に塀と塀の間に消えていった。
その場には完食された缶詰だけが残っていた。
馬鹿げている。
それでもきっとあれは特別な猫なんだ、と考えることにした。
 
〜〜〜〜
 
それから3ヶ月。
親父の病状は悪くなる一方だった。
身体中に癌が転移して、食欲も無くなってきた。
それでも生きている。
懸命に生きている。
親父の命は終わりに近づいているのか。
それとも死から逃れ続けているのだろうか。
分からない。
ただ、いま、生きていることは確かだ。
その必要がなくなるまで、日課は続けるつもりだ。
 
もし今度猫が出てくる時には、お礼が伝えられたら、と考えている。